最初で最後の“会話”
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essay/satomi
17日に俳優の船越英二さん(享年84)が脳梗塞(こうそく)で亡くなったとの報道がありました。
私は、船越さんは子どもの頃に見ていた「時間ですよ」のお父さんのイメージがとても強いのですが、ワイドショーなどを見ると、映画にもたくさん出演されていて、特にその映像をながしていた「野火」の船越さんの演技に強い印象をもちました。
体調を崩し、引退をして、療養していたとのことで、最近は息子の船越栄一郎さん(46)のご活躍のほうが目立っていましたが・・・ホントは、それ以上に栄一郎さんの妻、松居一代さん(49)のインパクトのほうが強いですが・・・。
今回の報道で、亡くなった英二さんは、息子栄一郎さんが、離婚暦があり、子連れの松居さんと結婚した(2001年)ことを、最後まで認めないままだったと知りました。
英二さんの強い遺志で、葬儀は密葬だったということですが、この密葬には栄一郎さん、一代さんは夫妻で出席。
栄一郎さんは「(密葬に)一緒に参列しようと言った僕に『当然です』と来てくれた妻に感謝しています」、「(松居は)一心に父の顔に向かって、話し掛けていました」と、松居さんの最初で最後の“会話”の様子を話していました。
(お掃除)カリスマ主婦として、タレント活動を快活にされていた松居さん、結婚生活を感謝をこめて、大切に過ごされていた記事や報道もたくさん見ていたので、義父に離婚暦や子連れであることで、結婚そのものを反対されていたなどとは思いもよりませんでした。
松居さんに(本当は自宅に3人のお手伝いさんがいたとしても・・・)自分の生きてきたこれまでや、生きていくこれからの強さを感じていましたが、その中にもさまざまな思いももたれていただろうな、と。
英一郎さんは「結婚反対は、父の最後の教育だった」と考えていたそうです。というのも「結婚もそうですが、大学も、この世界を志した時も、父は反対することから始まった。僕は認めてもらいたい一心で、努力してこれた。俳優として僕が今日あるのも、そのおかげです」だからとか。ただ、英二さんは英一郎さんの子どもを孫として抱きたいという思いもあったそうで、英一郎さんは「努力はしたんですよ。こればかりは授かり物ですから。でも、これも大きな親不孝の1つですね」と語り。「親孝行をできなかったおわびと、おやじの名前を汚さないように精進するから安心して旅立ってほしいと声を掛けました。父の息子に生まれたことを誇りに思っています」と涙をぬぐったとか。栄一郎さんのそんな思いとか、英二さん自身の本当の思いとか、そして、松居さんの「最初で最後の“会話”」とか、お互いに想像だけではなくて、面と向かって話せたらよかったのに・・・と思います。離婚暦とか、子連れとか、子どもに恵まれないとか、それは、親不孝ではありませんよね。多分、亡くなられた英二さんにとっても。
私は、船越さんは子どもの頃に見ていた「時間ですよ」のお父さんのイメージがとても強いのですが、ワイドショーなどを見ると、映画にもたくさん出演されていて、特にその映像をながしていた「野火」の船越さんの演技に強い印象をもちました。
体調を崩し、引退をして、療養していたとのことで、最近は息子の船越栄一郎さん(46)のご活躍のほうが目立っていましたが・・・ホントは、それ以上に栄一郎さんの妻、松居一代さん(49)のインパクトのほうが強いですが・・・。
今回の報道で、亡くなった英二さんは、息子栄一郎さんが、離婚暦があり、子連れの松居さんと結婚した(2001年)ことを、最後まで認めないままだったと知りました。
英二さんの強い遺志で、葬儀は密葬だったということですが、この密葬には栄一郎さん、一代さんは夫妻で出席。
栄一郎さんは「(密葬に)一緒に参列しようと言った僕に『当然です』と来てくれた妻に感謝しています」、「(松居は)一心に父の顔に向かって、話し掛けていました」と、松居さんの最初で最後の“会話”の様子を話していました。
(お掃除)カリスマ主婦として、タレント活動を快活にされていた松居さん、結婚生活を感謝をこめて、大切に過ごされていた記事や報道もたくさん見ていたので、義父に離婚暦や子連れであることで、結婚そのものを反対されていたなどとは思いもよりませんでした。
松居さんに(本当は自宅に3人のお手伝いさんがいたとしても・・・)自分の生きてきたこれまでや、生きていくこれからの強さを感じていましたが、その中にもさまざまな思いももたれていただろうな、と。
英一郎さんは「結婚反対は、父の最後の教育だった」と考えていたそうです。というのも「結婚もそうですが、大学も、この世界を志した時も、父は反対することから始まった。僕は認めてもらいたい一心で、努力してこれた。俳優として僕が今日あるのも、そのおかげです」だからとか。ただ、英二さんは英一郎さんの子どもを孫として抱きたいという思いもあったそうで、英一郎さんは「努力はしたんですよ。こればかりは授かり物ですから。でも、これも大きな親不孝の1つですね」と語り。「親孝行をできなかったおわびと、おやじの名前を汚さないように精進するから安心して旅立ってほしいと声を掛けました。父の息子に生まれたことを誇りに思っています」と涙をぬぐったとか。栄一郎さんのそんな思いとか、英二さん自身の本当の思いとか、そして、松居さんの「最初で最後の“会話”」とか、お互いに想像だけではなくて、面と向かって話せたらよかったのに・・・と思います。離婚暦とか、子連れとか、子どもに恵まれないとか、それは、親不孝ではありませんよね。多分、亡くなられた英二さんにとっても。
