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暴力が・・・続きます

今朝、米バージニア工科大学での銃乱射事件から1週間というニュースがTVで報道されていました。

ひどく驚く反面、「またか」と思った、あれからもう1週間です。
授業が再開されたとのことでしたが、多くの学生が大きなショックから立ち直れない、その姿が映っていました。当然です・・・。


4月17日にあった長崎市、伊藤元市長の銃撃事件。
多くの人が行き来をするその中で行われた犯行。一般市民にも恐怖を感じさせ、安全はない・・・と思わせた事件から6日。

暴力が・・・続きます。

男性の暴力が・・・。

強姦罪で起訴中の男が、他の強姦罪容疑で再逮捕されたとの報道。
JRの車内で女性の隣に座り、脅して身体などを触ったうえ、トイレに連れ込んで乱暴をしたとのこと。両事件はともに同じような手口だったようです。
車内には異状に気がついた乗客もいたようですが、被告(容疑者)にすごまれ、制止も通報もできなった・・・と。

被害者の女性の恐怖はどれだけだったものでしょうか。
誰も助けてはくれない、その雰囲気にどれだけ絶望をかんじかことでしょうか。
拒否できた、助けを求めることができた、逃げられた・・・のに、とそう思うでしょうか。
恐怖に陥れられたとき、「殺すぞ」と言われたとき、何もできない、行動できない、それは当然のことです。

助けられなかった乗客。
それを責めることなど、また誰にもできることではありません。その場に自分がいたとしたなら、と考えたとき、助けられたかどうかも、また自信があることでもありません。

でも、子どもを連れたような乗客や高齢者などではなく、例えば営業帰りのふたり連れの男性、旅行帰りの数人グループなど、居合わせなかったのでしょうか。
通報だけでも・・・そう思うのは、その場にいなかったからでしょうか。

力による暴力。防ぎようのない、反撃の仕様のない、その弱者に向かう暴力を肯定する考え方は・・・いったいどのように生まれてくるのでしょうか。男性とは生来そういうものなのですか?アニメのゲームの戦隊ものの・・・暴力シーンを見るたび・・・嫌悪感をもちます。「男性だから」と、許される暴力はないはずです。

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専業主婦

「専業主婦」という言葉がいいのか悪いのか。

「専業主婦」を考える場に同席する機会がありました。
久しぶりに「専業主婦」について、考えました。

その論争(?)はいろいろな場所で、場面で繰り返し、されてきたと思います。

いまどき「専業主婦」なんていない、という人もいますが、私のまわりにはけっこういるように思います。

「お金」の感覚。
「家事」に対する感覚。
「子ども」に対する感覚。
「家族」に対する感覚。
そして「自分」に対する感覚。

現実の生活が「専業主婦」か「そうでないか」でその「感覚」ずいぶん違うようには思います。
また、「専業主婦」か「そうでないか」を望んでか、そうでないのかでも、また違うようには思います。
そして、おかれた環境、それに対応(対抗?)できる「エネルギー」の保有量(?)によっても、また大きく違ってくるのだろうと、感じています。

「専業主婦」をすることができない。
「専業主婦」で子どもをゆったりと育てたかった。
「専業主婦」を強要された。
「専業主婦」になって、自分をだんだん卑下するようになった。
「専業主婦」を楽しんでいる。
「仕事」をするほうが楽だ。
「専業主婦」は人に評価されない。
「専業主婦」になったとたん、スケジュール表が真っ白、淋しかった。

などなど・・・いろいろな意見を聞かせてもらいました。

私は女性問題として、自分のこととして、「専業主婦」を学ぶ最中、どう思うのか考え中だということが、正直な現在。私はこう思う、とまだ言えないように思います(まぁ、答えなどないし、出す必要もないとは思っていますが)。ただ、女性の社会的な問題を考えるようになった学生の頃から・・・漠然と「自分の評価は自分のものさしで決めたい」そう思ってきたように思います。「夫」とか「子ども」「親族」とかからではなく、「仕事」やそれにともなう「収入」や「昇格」などではなく、「できること」や「得意なこと」ではなく、自分が自分で自分を「OK」とする価値観をしっかりともっていたい、とそう思ってきました。「よく頑張ったね」と人からではなく、「5000円の収入」ではなく、自分で自分に「よし」と・・・・。そして「仕事(家事も含んでいますよ!)」以外に時間を埋めるものがない、という風だけにはならないぞ!と、若きころより、気概にしています。そして、「専業主婦」「シングル」「自営業」「パート」「派遣」など、社会に決められたカテゴリーで人を分けて考えないこと。自分も誰かも、そのカテゴリーのつくられたイメージでどんな人なのか、どんな考え方なのか、決め付けないことも。

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フランス大統領選挙

難しい政治の話、まして海外の政治はよくわかっていないのですが。

先日から22日に行われるフランス大統領選挙の報道を目にします。
フランスと言えば「ワイン」と「セーヌ川」そして「ベルサイユのバラ」程度の私ですが・・・。

決選投票に関する一部世論調査で、ロワイヤル元環境相(社会党)の支持がサルコジ国民運動連合(UMP)総裁と同率の50%に回復したことが17日分かったそうで・・・。
他機関の決選投票に関する世論調査ではサルコジ氏が上位だが、両者の差は狭まりつつあるとのことのようで・・・(頼りない)。

ロワイヤル元環境相は真っ赤なスーツで笑顔を見せる、そんな印象の女性候補者。
で、サルコジ国民運動連合総裁は大きなジェスチャーで遊説する姿が印象的な男性候補者。

そして性別より、フランス世論を大きく2分しているのが、ふたりの主張。


ロワイヤル元環境相は、最低賃金や社会保障の引き上げ、終身雇用、週35時間労働の維持など「弱者保護」の姿勢。
一方サルコジ国民運動連合総裁はアメリカ社会のような競争社会、努力したものが報われる社会。だとか。

両極端で、投票は難しいだろうな・・・と思うのですが。

18日のNHK「クローズアップ現代」でもとりあげられていました。
高校まで教育費無料とか、短時間就業で家族とともに夕食をとる、そんな生活を守って欲しい、という意見と、自由競争を求めてイギリスに渡り、就業努力に報いる報酬を得て、競争がなければ祖国の経済は世界の中で生き残れないと主張する意見と、

それが、また同世代の若者の意見であることが・・・。
日本もいま「格差社会」が問題となり、親の「格差」が子どもの「格差」につながっていく現実もあり、かといって「弱者保護」「弱者保護」とすることにも、若干の抵抗があり。何が、どちらが人間にとっていいのか・・・よくわからなくなってきています。「教育」「就労」「介護」など・・・人に最低限必要なもの。誰に社会を託すのか。自分はどこまでできるのか。考えてみないといけないのかもしれません。「どっちがいい?」と聞くと「どちらでも、それなりに生きていく」との意見もあり。なるほど、それが1番なのかしらん?

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介護 「エネルギー」と「習慣」

育児と同じくらいに、介護も大きな家族の夫婦の問題です。
先の見える、先を計算できる育児とは違って、介護は先が見えません。
介護する側も若くはないことも多く、その負担は経済的、精神的、体力的など非常にしんどいものであるはずです。

私の世代でも、そろそろ介護が始まった人もいます。また、いままで息子、娘家族の世話や孫の育児をサポートし、ときにはあれこれ手をだし、口をだしていた親世代が急に衰え、体調を崩せば、回復が遅くなり、「疲れた」「しんどい」を繰り返し、反対にサポートを求めてくるようになってきた、ということも見聞きします。

介護には多くの「エネルギー」と、さまざまな「習慣」が必要かもしれません。
特に、男性(夫・息子)にとっては・・・。


19日の朝日新聞の記事の統計に、昨年2006年の1年間で家族間介護をめぐる殺人、承諾殺人、傷害致死事件で、被害者が60歳以上だったのは30件、

加害者は息子が13件
夫は12件
娘2件
妻3件

と、ありました。

また、心中も11件、

介護者は息子2件
夫7件
娘1件
妻1件

とか。


「追いつめられる男性介護者の姿が浮かびあがる」ともありました。

介護自体の大変さ、地域との人間関係がないことや退職などの社会からの閉塞感、そして、不慣れな家事。これらは「エネルギー」があるだけでは、解決できるものではありません。男性の「習慣」として、人間関係のある地域での生活や、家事能力が必要になってきます。でも、これらは一朝一夕にできるようなものではありません。忙しく働かざるを得ないこの社会の中で、そんな時間などなかった。確かに、そうだったのかもしれません。でも、もうそのようなことをいってはいられない高齢化社会、少子化社会になってきています。社会的資源・支援の乏しい日本の社会の中で、頼るのは夫ですか?妻ですか?息子ですか?娘ですか?婿ですか?嫁ですか?ただ、経済的自立、生活的自立、あまりに個人の努力の責任にすることは酷のように思います。せめて、助け合う家族内でそのひとりひとりが「習慣」として、「自活」した「生活」ができるようにならなければ、「日常」を営むことができなくなってしまうのではないでしょうか。介護について話し合うのも大切ですが、その前にみんなが「生活」できるよう、「訓練」が必要かもしれません。夫を・・・息子を・・・あたり前の顔で食卓に座る娘を・・・教育しますか?それとも、早々と・・・「本気」で「ひとり」の自立のPLANを立てますか?

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人それぞれ違います

祖父母の育児は実際大変だ、私はそう思っているのですが、それは1番にやはり体力的なことを想像するからです。

50代の祖父母ならともかく、60代や70代の祖父母を考えたとき、本当に動きの激しい、感情の起伏の大きい、何かと手のかかる幼い子どもの育児はかなりしんどいものではないかとは思います。

ただときに、年齢に関わらずとてもパワフルなおばあちゃん、おじいちゃんにも出会うことがあります。
子どもの母親にも負けないバイタリティで、自分の子どものように接しているかのように、育児を楽しむ(頑張る?)姿もときに見受けます。


人はそれぞれ違います。
考え方とか、価値観とか・・・体力も。

恥ずかしながら、私は大学のときに、初めて人は自分とは違うのだ、ということに気がつきました。

親しい友人と鎌倉に旅行に行ったときのことです。

私は子どもの頃からスポーツ漬け、体力はかなりあったのだと思います。加えて、私の旅行の仕方というのは、リュックをしょって、電車と徒歩で移動。ときにレンタルサイクルで走りまわり、気に入った場所があれば、ひたすらに散策。歩いてその雰囲気や空気を感じることを「よし」とするような、そんな旅行をしていました。
運よく(?)友人もそのような人間ばかりで・・・これは必然で、スポーツ漬けは当然練習の寸暇をぬって、その皆スポーツ漬けのような仲間と遊ぶわけです。行く場所や移動の方法に多少のトラブル(?)は発生するものの・・・旅行中というのは、多少無理をしたり、重い荷物をもってひと駅くらい歩いても、どうということはなく・・・。

私は世界中の人は、みんなそんなもんだ・・・と思っていたように思います。
体力のない人とか、病弱な人、などを知ってはいましたが、私にとっての普通の旅行は誰にとっても普通だと・・・そう思っていました。

鎌倉は当然、歩いてなんぼ、のように思っていて、お寺からお寺に、江ノ電を乗り継ぎ、歩いて、歩いて、切通しを通り抜け、坂道を上り下りし・・・荷物をもって。

その夜、女性専用の可愛らしいプチペンションで(これはその友人の希望)で・・・。
友人は熱を出しました。・・・「しんどかったけれど、我慢をしていた」そうです。言えばよかったのに、と思ったものの、忘れていました・・・。彼女とはスポーツ抜きのクラスでの知り合い。そういえばサークルは「鉄道研究会」だったような・・・。とは、いえ、彼女はいたって健康。毎日元気に学校に通い、血液検査などでは多分私以上に健康だったはず。ただ、彼女には私のような「活動」の「習慣」がありませんでした。「部活動」=「スポーツ」ではない人でした。健康ではありましたが、「習慣」「慣れ」・・・「エネルギー」が彼女にありませんでした。それは別に悪いことでもなくて、ただ彼女がそうだった、そういう風に過ごしてきただけのことで。本当に申し訳なく思い、平誤りです。そう、私は人は誰しも、自分のように動くことができると、なんの疑問ももたずに思い込んでいました。自分がそうだから、自分のまわりの友人がたまたまそうだったから・・・。私は本当にこのとき初めて、人は自分とは同じではない、と痛感しました。特に人のもつ「エネルギー」というものは、本当に人それぞれで、何かに対する体力とか意欲とか持続力とか、「いい」「悪い」「損」「得」なのではなくて、その人の育ってきた環境とか、習慣とか、経験とか、やり方なので、まったく違ってくるもので、人にはそのひとそれぞれの「ペース」があるのだと思います。ときにそれが「歯がゆかったり」「いらいらしたり」「もどかしかったり」、逆に相手のエネルギーが「威圧的だったり」「怖かったり」「同調できなかったり」。でも自分以外はその体内にある「思い」や「気持ち」、「元気」や「エネルギー」が簡単にわかるものではないのだと思います。人と接するとき、本当に気をつけようと思っています。と・・・祖父母の育児でした・・・。それも人それぞれなのだと思います。「なんでしてくれないの」「ここまでやってあげているのに」「親なら」「頑張りなさい」「もう少しくらい」・・・。親子ゆえの感情の行き違いは多いと思います。でも、祖父母も子どもも自分ではありません。相手の「エネルギー」や「習慣」は自分とは違います。無理のない関係が続くといいのですが・・・。鎌倉の2日目。彼女は回復。ほっと一安心。「大丈夫だよぉ」の笑顔に救われた旅行になりました。

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