専業主婦にアンケート 結婚は「忍」、主婦業「楽」
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essay/satomi
通信教育会社「ユーキャン」(東京)が、子供のいる20~40代の専業主婦300人を対象に「結婚」と「専業主婦業」を表す漢字1文字を尋ねたアンケートで、
結婚は「忍」。
主婦業は「楽」。
という結果がでたとか。
世代別では結婚生活が長くなればなるほど、「忍」「耐」などのマイナスイメージの回答が上位を占めるようになるとか。中には想像していたものとは違うということで「違」や遊びにも行けないということで「鎖」という回答もあったとか。
結婚では他に「幸」「愛」もほぼ同じ程度の数があったようですが、「忍」というのは、それなりに納得をしてしまう結果だと思います。
私は主婦業の「楽」にショック!ショック!ショック!ショック!
「楽」ですか?主婦業は・・・
最近、若い女性の中には、夫に高収入と家事・育児参加の双方を期待し、自分は就労することのない「新・新性別役割分業意識」といわれる「男性は仕事と家庭・女性は家庭と趣味」という新たな専業主婦志向なるものがうまれているとのこと。家庭や育児だけに埋没はせず、就労とは違う道で自己実現を果たそうとするものだということですが、(ちなみに「性別役割分業」は「男性は仕事・女性は家庭」「新性別役割分業」は「男性は仕事・女性は仕事と家庭」)「育児」のみではむなしく、老後がもたないことを母親を見て学び、「仕事と育児」の両立はトライアスロンに匹敵すると諸先輩を見て学び、「仕事」だけでは男社会の中で、将来に明るい展望がないことを学んだ、その結果と言えるかもしれません。その新たな専業主婦志向が実現すれば、それは、それで「楽」かも知れませんが。実際、私の近くにもいます。「両親が私にしてくれた程度のこと(ピアノ・スイミング・英語・体操・学習塾など)は最低でも子どもにはしてあげられる人と結婚をしたい」。「今の生活水準をおとすのは絶対に嫌」。「生活のために働くのは嫌だ」。という、若い女性たち。結婚をしたい、男性たちは、これらを受け止めることが可能だと思いますか?ともあれ、主婦業は「楽」ではありません。当たり前です。男性同様、生活の担い手なのですから。ただ、さまざまなかたちで、頑張っても、頑張っても、なかなかそれが実を結ばない社会の中で、女性たちが少しめげかけているのだと思います。正直、しんどいのです。誰も「楽」に暮らしたいと思うことは責められません。どう生きたいかは、それぞれが決めることですが、私は、生きるなら、やっぱり妥協はしたくない、何かに納得させられたくない、自分の限界を決めてしまいたくない、誰かに自分をあずけたくはない、そう思います。頑張っていけたら・・・そう思っています。
結婚は「忍」。
主婦業は「楽」。
という結果がでたとか。
世代別では結婚生活が長くなればなるほど、「忍」「耐」などのマイナスイメージの回答が上位を占めるようになるとか。中には想像していたものとは違うということで「違」や遊びにも行けないということで「鎖」という回答もあったとか。
結婚では他に「幸」「愛」もほぼ同じ程度の数があったようですが、「忍」というのは、それなりに納得をしてしまう結果だと思います。
私は主婦業の「楽」にショック!ショック!ショック!ショック!
「楽」ですか?主婦業は・・・
最近、若い女性の中には、夫に高収入と家事・育児参加の双方を期待し、自分は就労することのない「新・新性別役割分業意識」といわれる「男性は仕事と家庭・女性は家庭と趣味」という新たな専業主婦志向なるものがうまれているとのこと。家庭や育児だけに埋没はせず、就労とは違う道で自己実現を果たそうとするものだということですが、(ちなみに「性別役割分業」は「男性は仕事・女性は家庭」「新性別役割分業」は「男性は仕事・女性は仕事と家庭」)「育児」のみではむなしく、老後がもたないことを母親を見て学び、「仕事と育児」の両立はトライアスロンに匹敵すると諸先輩を見て学び、「仕事」だけでは男社会の中で、将来に明るい展望がないことを学んだ、その結果と言えるかもしれません。その新たな専業主婦志向が実現すれば、それは、それで「楽」かも知れませんが。実際、私の近くにもいます。「両親が私にしてくれた程度のこと(ピアノ・スイミング・英語・体操・学習塾など)は最低でも子どもにはしてあげられる人と結婚をしたい」。「今の生活水準をおとすのは絶対に嫌」。「生活のために働くのは嫌だ」。という、若い女性たち。結婚をしたい、男性たちは、これらを受け止めることが可能だと思いますか?ともあれ、主婦業は「楽」ではありません。当たり前です。男性同様、生活の担い手なのですから。ただ、さまざまなかたちで、頑張っても、頑張っても、なかなかそれが実を結ばない社会の中で、女性たちが少しめげかけているのだと思います。正直、しんどいのです。誰も「楽」に暮らしたいと思うことは責められません。どう生きたいかは、それぞれが決めることですが、私は、生きるなら、やっぱり妥協はしたくない、何かに納得させられたくない、自分の限界を決めてしまいたくない、誰かに自分をあずけたくはない、そう思います。頑張っていけたら・・・そう思っています。