また日常ですね
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satomi
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G・Wも終わりました。
まるで、どこかに行っていたかのように、更新をしませんでしたが、家におりました・・・。
お天気もよくて、冬のものをすっかり片づけ、犬をシャンプーし、少し散歩に遠出し、花を植え替え、それでもちょっぴりショッピングにお金をつかい・・・。
とてもいいG・Wでした。
日常の時間の流れと違う、とろんとしたときを過ごして、贅沢な気分でした。
我愛犬は、盆も正月も、G・Wも当然関係がなくて、散歩に連れ出していましたが、
世間は、思う以上に日常が変わりなくありました。
商店やコンビニは、ごくごくふつーで、G・Wも後半には高齢者向けのデイザービスの送迎車は普段どおりに走っていて、窓から見えるその施設内はいつものようにたくさんの高齢者の方々が過ごしていて、クラブにでかける学生や、塾通いの小学生、食料を入れた袋を自転車に積んで走る人、スーツ姿の男性・・・etc。
TVや新聞、ネットでは海外旅行だ、温泉だ、テーマパークだ、お祭だ、渋滞だ、などなど連日伝えられていましたが、またそれと同じくらいの多くの人たちが、G・Wをふつーに日常と変わることなく、過ごしていたのでしょうね。
ただ、その日常も、
(5月1日付け 当ブログより)
「波風を立てたくない」。
よくもなく、悪くもなく、それなりに過ぎていく日常。
その中で、何か思っても、それを表し、争ったり、もめたりするよりは、ふつふつとたまっていく不満足、不充足をそれなりに消化していくことの方が、まし。
それなりの暮らしに・・・「波風を立てたくない」のでしょうか。
それとも、日常の引っかかりに付き合うほどに毎日は楽ではなくて、それほどに日々の暮らしに必死なのかもしれません。
な、日常かもしれませんが。
G・W中、あなたはどこで、何をしていましたか?
休日をどう過ごすとか、どこかへ行くとか、行かないとか、そういったことばかりではなく、自分ではない人の行動をどう見るか、ということは、これもまた人それぞれです。
羨望や妬み、尊敬や卑下、いつくしみや憎しみ、賞賛や批判、共感や疑問、どんなものにもあります。
海外旅行へいく人たちを見て、
働く人たちを見て、
家族連れを見て、
ふたり連れを見て、
BBQだらけの公園を見て、
ひとり夕刻を過ごす高齢者を見て、
ファミレスの中をのぞいて、
塾に通う子どもを見て、
駅の混雑を見て、
渋滞の長さを聞いて、
あなたは何を思いましたか?
三橋歌織被告、畠山静香被告、緒方純子被告、その他の女性が起こした事件など・・・。社会とか、生い立ちとか、まわりとの関係とか、一言ではとても言えない、複雑さを感じながら、罪を犯したという事実と、それだけでは裁ききれない、わかりきれない、理解できない部分があって、たまたま、そういったことの学びの機会もあったりして、重さをもって、少し、考えていました。これも、また、自分ではない人の行動をどう見るか、ということで、特に、自分ではない女性の行動をどう見るか、ということは、とても大切で、同じ女性として、同じ立場になるかもしれない可能性のある同性として、彼女達をどう見るかを考えることはとても重要に感じています。消費生活アドバイザーの方で「女性からの借金の相談は、話を聴いていると、お金だけではない、お金ではないものがあって」と、その背景にある女性の問題について学び始められた方がいます。で、難しいけれど、考えていきたいな、と感じていた、矢先。昨日の朝日新聞の「追う」という記事の中に、DVから起こった女性の事件が書かれていて、その中で、その当事者の女性の処遇担当の刑務官の方が被告について「DV被害者であったということが、彼女の逃げ場になっていて正面から自己分析でき内面がある。理由はどうであれ、彼女は人一人を殺した。その罪に向き合えないと、背景も受け入れられないと思うのです」とありました。そう、DVの被害者でもあるけれど、夫を殺した加害者でもあるのです。ただ、すごく、考え込んだ言葉でした。背景を受け入れられたら、罪と向き合える、そうも思うのです。借金、DVなど、パートナーとの関係の中でうまれてくるものを抱える多くの女性。それを同じ女性として、どう考えるのか、と、考え続けないと、そのサイクルや仕組みを学び続けないと、と思っています。なんか・・・G・Wの話題から重くなってしましましたが、いろいろな人たちを見ていて、感じました。また、日常ですね。
まるで、どこかに行っていたかのように、更新をしませんでしたが、家におりました・・・。
お天気もよくて、冬のものをすっかり片づけ、犬をシャンプーし、少し散歩に遠出し、花を植え替え、それでもちょっぴりショッピングにお金をつかい・・・。
とてもいいG・Wでした。
日常の時間の流れと違う、とろんとしたときを過ごして、贅沢な気分でした。
我愛犬は、盆も正月も、G・Wも当然関係がなくて、散歩に連れ出していましたが、
世間は、思う以上に日常が変わりなくありました。
商店やコンビニは、ごくごくふつーで、G・Wも後半には高齢者向けのデイザービスの送迎車は普段どおりに走っていて、窓から見えるその施設内はいつものようにたくさんの高齢者の方々が過ごしていて、クラブにでかける学生や、塾通いの小学生、食料を入れた袋を自転車に積んで走る人、スーツ姿の男性・・・etc。
TVや新聞、ネットでは海外旅行だ、温泉だ、テーマパークだ、お祭だ、渋滞だ、などなど連日伝えられていましたが、またそれと同じくらいの多くの人たちが、G・Wをふつーに日常と変わることなく、過ごしていたのでしょうね。
ただ、その日常も、
(5月1日付け 当ブログより)
「波風を立てたくない」。
よくもなく、悪くもなく、それなりに過ぎていく日常。
その中で、何か思っても、それを表し、争ったり、もめたりするよりは、ふつふつとたまっていく不満足、不充足をそれなりに消化していくことの方が、まし。
それなりの暮らしに・・・「波風を立てたくない」のでしょうか。
それとも、日常の引っかかりに付き合うほどに毎日は楽ではなくて、それほどに日々の暮らしに必死なのかもしれません。
な、日常かもしれませんが。
G・W中、あなたはどこで、何をしていましたか?
休日をどう過ごすとか、どこかへ行くとか、行かないとか、そういったことばかりではなく、自分ではない人の行動をどう見るか、ということは、これもまた人それぞれです。
羨望や妬み、尊敬や卑下、いつくしみや憎しみ、賞賛や批判、共感や疑問、どんなものにもあります。
海外旅行へいく人たちを見て、
働く人たちを見て、
家族連れを見て、
ふたり連れを見て、
BBQだらけの公園を見て、
ひとり夕刻を過ごす高齢者を見て、
ファミレスの中をのぞいて、
塾に通う子どもを見て、
駅の混雑を見て、
渋滞の長さを聞いて、
あなたは何を思いましたか?
三橋歌織被告、畠山静香被告、緒方純子被告、その他の女性が起こした事件など・・・。社会とか、生い立ちとか、まわりとの関係とか、一言ではとても言えない、複雑さを感じながら、罪を犯したという事実と、それだけでは裁ききれない、わかりきれない、理解できない部分があって、たまたま、そういったことの学びの機会もあったりして、重さをもって、少し、考えていました。これも、また、自分ではない人の行動をどう見るか、ということで、特に、自分ではない女性の行動をどう見るか、ということは、とても大切で、同じ女性として、同じ立場になるかもしれない可能性のある同性として、彼女達をどう見るかを考えることはとても重要に感じています。消費生活アドバイザーの方で「女性からの借金の相談は、話を聴いていると、お金だけではない、お金ではないものがあって」と、その背景にある女性の問題について学び始められた方がいます。で、難しいけれど、考えていきたいな、と感じていた、矢先。昨日の朝日新聞の「追う」という記事の中に、DVから起こった女性の事件が書かれていて、その中で、その当事者の女性の処遇担当の刑務官の方が被告について「DV被害者であったということが、彼女の逃げ場になっていて正面から自己分析でき内面がある。理由はどうであれ、彼女は人一人を殺した。その罪に向き合えないと、背景も受け入れられないと思うのです」とありました。そう、DVの被害者でもあるけれど、夫を殺した加害者でもあるのです。ただ、すごく、考え込んだ言葉でした。背景を受け入れられたら、罪と向き合える、そうも思うのです。借金、DVなど、パートナーとの関係の中でうまれてくるものを抱える多くの女性。それを同じ女性として、どう考えるのか、と、考え続けないと、そのサイクルや仕組みを学び続けないと、と思っています。なんか・・・G・Wの話題から重くなってしましましたが、いろいろな人たちを見ていて、感じました。また、日常ですね。
