離婚、今風に表現すると、バツイチ。私の住む山また山に囲まれた戸数五百戸一寸の小さな村には離婚などありません。と軽く考え、憶測でエッセイは書けないと諦めようと思っていたら、すでに今は他界した母がバツイチでした。これ以上亡き近い母の存在を忘れてしまうなんて情けない私は済まないと思いつつ、在りし日の母を振り返る事にします。
再婚の母は我が家へ嫁いで二年目で長男の私が人生で始めて恵まれた息子との事で、昭和十九年生まれの私です。
初婚の新婚生活は夢崩れ、離婚とゆう自分でさえ予測もしなかった方向に話が進むに連れ二度と結婚などしない。と固く自分に誓ったそうです。
当時の食糧難、終戦の数年前の生活苦の中では実家で受け入れてもくれず泣く泣く再婚したのだったそうですが、早期に離婚した事が後々多方面から総合的に考え合わせる時、これで良かったと思えたそうで、しみじみと夜なべに内職の袋貼りをしながら私と二人の弟を前に話していた情景が手に取るように彷彿としてきます。
母が生きた時代から世相は大きく変化して現代は離婚に対して超ドライ化したようです。
人生には限りがある以上、私はそれを良しと思います。
常識、柵、仕切り等に足止めされることで人間一人の生命を一生暗闇の中に放り込まれて身動き出来なくなるような悲劇の主役になる程無意味な立場に泣いたのは昔の語り草だけにしましょう。
人生に限りがある以上、この道で良しと思いつつ運転している車の前方に「離婚」とゆう標識が見えたら渡ってみる事です。
想像もしなかった明るい広場に出るかも知れませんよ。
私は迷わず進む事を薦めます。
ほら、ごらんなさい、私の母がそうであったように、貴方の知ってるあのかたも、今はあんなに活き活きと毎日を送っているではありませんか。
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