定例の飲み会に二人揃って参加したとき、事情を知っているみんなは少なからず戸惑っていた。なにしろ私たちの壮絶な喧嘩も、それに続く周囲を巻き込んでの冷戦状態も、挙句の果ての別居も周知の事実で、そのうえ結婚してから三年の間というもの、友人たちには互いの愚痴を言っている姿しか見せた事がなかったからだ。軽口を言いあう私たちをみて、周囲に気を使って演技しているのだと思われるのも無理はない。
けれど私たちは本当に仲がいいのだ。結婚という制度を必要としないくらい。
どうして結婚したの?という問いにはいつも悩まされる。知り合って数年、互いに其のことを意識しなかったといえば嘘になるけれど、真剣に意識した覚えもやはりない。
生涯を一緒に過ごしたいの!という熱い恋愛の果てでも、仕事を辞めて主婦になりたい……という打算の果てでも、当然波乱万丈のドラマの果てでもない、「ただなんとなく」という答えでは、どうやら説得力に欠けるらしい。日常生活でドラマなんてそうそうおきるはずもないのに。
たとえばウインドウショッピングのつもりででかけ、そんなつもりじゃなかったのに買い物をしてしまうことは誰にでもあると思う。私にとって結婚は、まさにそんな感じだった。二人でぶらりと散歩に出かけた先がなんとなく気に入って、ついつい長逗留。そんな感覚に少し似ている。
はじめ居心地が良かったその場所は、長く時間を過ごすにつれて段々とアラが目立ってきて、その場所に留まろうとした互いを責めはじめる。そこを気に入ったのは誰のせいでもないのに、居心地の悪さを自分がつくっているのだとは認めたくなかったから。
それは次第に、自分は最初からこんな所なんて来たくはなかったのだ、と全てを否定するように至る。恋人同士が旅先で些細なことをきっかけに喧嘩するように。違う場所に出かけていればこんな思いはしなくて済んだかもしれない、来る相手が違ったらもっと楽しい場所だったかもしれない、ひとりだったらもっと楽しくすごせるかもしれない……
そんな風に。
そこに至って私たちはようやく気がついた。この場所にいると喧嘩ばかりしちゃうね、と。そして互いにまたお気に入りの場所を探して別々に歩く。気に入った場所があったら絵葉書をだすよと別れる、旅の達人よろしく。
どうして離婚しないの?という問いには少しだけ答えやすい。だって離婚する理由が見つからないだもん。そういうとみんなは首をかしげる。同じく説得力に欠けるらしい。いつか、結婚したときみたいに、離婚を思う場所にたどり着くかもしれないけれどそれはいずれにしても先の話。そもそも、誰かを納得させたり満足させるために結婚や離婚があるわけじゃないのだ。
とりあえず私はいま、ひとりで旅をしていて、絵葉書を出す相手がいることが楽しい。
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